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海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

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KIMONOを着よう! 第5章 京都へ
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。軽小説スタイルで。

まずは第1章から第4章までお読みください。

最近になって、一郎たちが弁護する日の丸・君が代拒否訴訟の裁判所前で、右翼団体がメガホンを持って演説をするようになった。都教育委員会から処分を受けた教師たちとそれを弁護する一郎たちに向けて非難のメッセージを叫び、行き交う人々に誹謗中傷のビラを配っているのだ。一郎たちは彼らにかまうことなく裁判所内に入る。もっとも、一郎たちは、こういうのには慣れっこだ。

この手の右翼連中は対立勢力から雇われていることが多い。がなり声を上げ、脅せば原告と弁護士たちが屈するだろうと思い込んでいるのだ。だが、どうせ雇われの身、雄たけびを上げることはするが、暴力行為にまで及ぶことはしない。そのことで警察沙汰になると自分たちの雇い主が損をするからだ。

それに右翼といっても、愛国心とか、伝統とか何も分からず、かっこつけるための道具にしているにすぎない。何も、メガホンを取ったり街宣車を乗り回す連中に限ったことではない。メディアなどで発言する右翼と称する言論人や学者、はたまた政治家どもに共通していえる。

例えば、子供に体罰することは伝統的な教育だと豪語しているが、そもそも、日本は古来から子供は叩いてはいけないという考えが根強い。学校の体罰は法律で禁じられているが、それは最近できた法律ではない。日本で最初に制定されたのは明治時代初期だ。新しく採りいれられた西洋的な鞭打つ学校教育に対して批判が起こり、教師がむやみに子供に体罰をくわえさせない為、制定されたのだ。体罰が学校で日常化したのはむしろ戦後のことだ。

同性愛者に対して侮蔑な言葉を発する保守の論者がいるが、それまた日本の伝統文化とは相容れない。日本には江戸時代まで男色、衆道と呼ばれる男性同士の性的な関係を表す言葉があり、実際に異端視されることなくそれがなされていた歴史がある。同性愛の異端視は明治時代に西洋のキリスト教的な価値観の流入により強化されてきたものだ。

伝統的な家族の絆や価値観を守るため、夫婦別姓に反対の声を上げるが、日本で夫婦が同じ姓を名乗るのが一般化したのは明治時代からである。大半の人々には苗字さえなかった。家族制度に関する法律の民法も明治時代から制定されたもので、その多くは当時の西洋の国々の家族制度が元になっている。離婚後、女性が半年間再婚できないという制度はその例で、当の西洋の諸国ではとっくに廃止されている制度だ。

脱原発運動に対して批判の声を上げる保守の者共だが、福島第1原発の事故で分かったように、安全神話など大ウソで国土が広範囲に汚染され人々の住む場所から地域コミュニティまで奪うようなものをどうして推進しようとするのか。

彼らを、右翼とか、保守とか、伝統主義者とか呼ぶのがはばかられる。

そんな折、日の丸・君が代裁判に取り組む我々に思わぬ電話がかかってきた。何でも京都に来て依頼内容を聞いてほしいというのだ。依頼人は京都に住まいを構えている人物で実業家だという。電話をかけたのは、その秘書であるという。電話では詳しい内容はいえないが引き受けてくれれば報酬はかなり出すという。事務所の連中は所長を含め、怪訝気味だった。何かあくどい陰謀に巻き込まれてしないか。それに京都なら京都の弁護士に依頼をするものだ。遠く離れた東京の一郎たちでないとできない依頼だという。

ところが、一郎たちの事務所は財政的に最近逼迫している状態だ。人権派の弱小事務所ならでは悩みだ。所長としては方針に反することはしたくはないものの、話だけは聞きに行こうと思い、誰かを京都に送ろうと決めた。だが、そこで、依頼人側から思わぬ条件を出された。依頼人と会うためには、弁護士は着物を着てこなければいけないというのだ。

事務所の者共は当惑した。弁護士の中に着物を持っている者などいないのではないか。だが、一郎は持っていると言った。そんなことで、一郎が京都に行き依頼人に会いに行くこととなった。何でも依頼人の名はFBという。イニシャルのみしかおしえられていない。直接会って話をきいて、自らを知ってくれというのだ。一体どういうことなのだろう。

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テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

和装 | 16:55:03 | Trackback(0) | Comments(0)
KIMONOを着よう! 第4章 芸者とはアーチスト
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。

まずは第1章から第3章をお読み下さい。

季節は冬へと移り変わった。浅草を案内してくれないかというガイドの要望が来た。一郎は、長襦袢、長着、羽織を身につけ、足袋を履き、それに合う草履を履き、しっかりとした着物姿になった。だが、それだけだと肌寒い。襟や裾から空気が入ってくるので、洋服と違い密閉性が低いのだ。昔の人は、着物で冬を過ごしたかと思うと、辛抱強かったのではないかと思えるほどだ。

清美さんと真美さんも来る予定になっている。浅草の雷門前で午後1時に待ち合わせることに。天気は冬晴れ。
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彼女たちは先に来ていた。驚いたのは、二人とも着物姿なのである。真美さんの着物姿に驚いた。何とかわいらしい。赤をベースにした花柄で、髪の毛も結いあげかんざしをつけている。帯も、花柄の文様で、赤い紐の草履。まるで日本人形だ。今まで見たのとは、全く違う印象を受ける。対称的に清美さんは、緑色の地をベースに、ところどころに文様があるデザイン、派手さを控えた分、上品でシックに決めた着物姿だ。中年女性らしい魅力を醸し出している。両者は対象をなす女の魅力を醸し出している。

一郎は二人の着物美人に挟まれる形で、雷門の前でゲストを待ち合わせることに。まさに両手に花。通りすがりの人々の注目の的となった。浅草寺を背景に、着物を着た男女の姿は実に絵になる。写真を撮る人までいた。

しばらくしてゲストらしい人々が。何でも、事前のメールでのやり取りだとオーストラリアから来た人々で、申し込んだのは日本の大学に留学のため2年前から東京に住んでいるニコールという女子学生。彼女の友人がスキーのため日本に来たので、スキーリゾートに行く途中、東京に立ち寄り観光を楽しもうということになったのだ。

ニコールは金髪で眼鏡をかけた真面目そうな感じがする女の子。同じ年ぐらいの男女5人を連れてきた。
「こんにちは」とニコールが上手な日本語で話しかける。
「こんにちは」と清美が日本語で返す。真美も一郎も挨拶した。他のゲストも、にこにこしながら挨拶をする。一人、背が高くすました顔をした女性だけそっけない挨拶をする。名はジョアンナという。
「私たち、とってもエキサイトしているの。それにこんなきれいな着物のガイドさんたちに連れて行ってもらえるなんてラッキーだわ」
ニコールがそう言い、ジョアンナ以外は実に楽しそうだ。
さっそく、雷門から解説。浅草寺の歴史を簡単に解説。門にぶら下がっている大提灯が重さ700キロあること、台風が来る時は畳むことなどを話す。

次に門をくぐり仲見世を渡る。相変わらず人でごったがえしている。清美さんがゲストの男性と一緒に話しこんでいた。一郎と真美は少し離れて、一行を先導するように歩いた。真美が歩きながら一郎に話しかけた。
「この着物、清美さんから貸してもらったの。清美さんが若いころに着ていたものだって。着付けも教えてもらった」
「似合っていますよ。とてもきれいですよ」
「そう、嬉しいわ。でも、生まれて初めての体験。驚くわね。動きにくいのもそうだけど、しっかり締めつけられて、背筋がピンとならないといけないから、猫背ができないの。姿勢がよくなりそう」
とにこにこと話す。初体験をとても喜んでいるようだ。
 一郎は、そのそばでオーストラリアの女性二人が英語でするおしゃべりにも耳を傾けた。ニコールとジョアンナだ。ジョアンナが不機嫌そうな口調でニコールに対して言う。
「分かっているわよね。私はスキーのために日本に来たの。明日はニセコに飛ぶのだから、あそこでオーストラリア人だけの施設でスキーバケーションをするの。日本なんて興味ないわ。クジラを殺す残酷な人々の国よ。あなたのように大学に留学してまで日本に親しもうなんて気がしれないわ」
「ジョアンナ、それでも、せっかく来たのだから、その嫌いな日本を知っておく必要もあるのじゃない。スキーだけではない日本を楽しむべきよ。高いお金を出して、長いフライトで来たのだし」
とニコール。
ニコールの言うとおりだと思った。高いお金を出して長いフライトに耐えてわざわざ日本にまで来てくれた外国の人をおもてなしするのが一郎をはじめとするガイドの使命だ。そのためにも着物を着ている。彼らに異国情緒を楽しんでもらうためだ。

宝藏門、本堂へと案内する。そして、五重塔。五重の塔と共に、世界一の高さを誇るタワー、スカイツリーも眺められるので紹介。新旧時代の塔比較ということで実に面白い眺めである。ゲストは大感動だ。ジョアンナを除いて。

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さて、次に浅草寺の近くにある外国人向けの文化紹介施設「日本文化センター」に一行を連れていくにした。

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和装 | 20:55:33 | Trackback(0) | Comments(0)
KIMONOを着よう! 第2章 祖父の形見
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。

まずは第1章からお読みください。

大手門から、東御苑に入る。それから、後は、同心番所、百人番所、大番所と、かつての江戸城の検門のシステムについて語った。大番所の後は、本丸の芝生と天守閣跡と続く。かつては、建物が数多く並んでいたが、多田の芝生と、石垣だけの場所となっている。かつての本丸にあった表、中奥、大奥と呼ばれた各セクションの説明をした。中でも、人々の気を引いたのは、天守閣に近い場所にあった大奥というところ。
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大奥は男子禁制であり、女中と将軍の妻と側室のみが居住を許され、男性で中に入れたのは将軍のみであり、将軍にとっては女性ばかりの園であり、いわばハーレムのような役割であったと清美が説明。一郎は付け加えて「将軍のためのハーレムは、三代将軍家光がゲイであり、血筋が途切れるのを恐れた将軍の腹心が考え出したものなのです。将軍が好むような美女を江戸の町からかき集めて女の園をつくりあげました。その後、江戸幕府末期まで男子禁制のシステムが続いたのです」と言うと、ゲストはイアンさんも含め驚きの表情となり、同時に笑いも起こった。清美さんも、ふふ、と微笑みを浮かべた。そばにいた真美さんもだ。

その後、二ノ丸庭園、江戸城の裏門であった平川門まで行き、ツアーは終了、解散となった。
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ゲストは、とても楽しかった。勉強になったと一様にいい反応。特にイアンさんが満足げだった。「日本に来てよかったですよ。最後にいい思い出をありがとう」と言った。

ゲストが去った後、清美が一郎に話しかけた。「どうです、あなたも私たちのボランティアに参加してみない? 英語もできるようだし、外国人の対応もうまいし」
「ええ、面白そうですね。僕でよければ」と一郎は快諾した。

これから先、東京の名所で外国人が好みそうなところを案内する。生まれも育ちも東京の一郎にとっては、もってこいの活動だ。月に2-3回程度、週末や祝日で都合のつく時にガイドを引き受けてほしいとのこと。

翌週末、さっそくリクエストがあり、案内した場所は浅草であった。ゲストはアメリカ人の老夫婦だった。もちろんのこと、雷門、浅草寺を案内。じっくりと説明した。一郎の説明が分かりやすく、実に満足げであった。一郎も楽しかった。

その翌週末、メールで、皇居を見学したいというカナダからの父娘のゲストを和田倉噴水公園で待つことにした。父親の名はロジャーといい、娘はナンシーという。道路を挟み皇居のお堀のすぐ近くで、巽櫓と外苑を見渡せる場所だ。この噴水公園は、平成天皇が皇太子の時代に婚礼をした記念に建てられ、現在の皇太子の婚礼を記念するためにも追加で噴水が建造された。

午後1時に来ると言うので、10分前ほどに来て待っていた。すると、5分前ほどに親子らしき白人の二人ずれがやってきた。が、その姿を見て驚きを隠せなかった。浴衣姿だ。

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和装 | 18:30:21 | Trackback(0) | Comments(0)
KIMONOを着よう! 第1章 サヨク弁護士
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。軽小説スタイルで。

園田一郎は、東京に住む三十三歳の弁護士だ。そもそも弁護士になったのは、大学の法学部に在学中に受けた司法試験で合格してしまったからだ。普通、卒業後、数年ぐらい浪人しなければ合格できない司法試験を一発で在学中に合格してしまった。一郎が合格をした後、法曹界の資格は法科大学院制度に変わったので、当初、弁護士になるつもりもなかった本人は、たまたま挑戦のつもりで合格して資格がゲットできたのだから、弁護士にならなければ損だと思い、司法研修生となり、そして、立派な資格を持つ弁護士となった。

その後、就職先としてある弁護士事務所に勤めることとなった。あくまで新米見習いのつもりでだ。そこは、小さくて古臭い建物の中にあった。当初は腰掛けのつもりで、どこでもいいから見習いとしての修業を積めるところをと思い就職したのだが、その後、なぜか務め続けることになった。

そこは、法曹界の人々からは「左翼の溜まり場」と時に揶揄されている事務所だ。というのは、この事務所の専門は、社会的弱者の味方をする立場の人々の弁護をすること。人権派だともいわれている。また、必ずしも弱者ではないが、環境保護、表現の自由などを主張するリベラルで進歩派の人々の依頼を受けることもある。

司法研修所の同期の弁護士などは「なぜお前のような優秀な奴が、そんなところにいるんだ?」と言ってくることがある。

というのは事務所のある古臭い建物に象徴されるように儲かる仕事ではない。弁護士で報酬が高いのは決まって、大企業などの強者の味方をする場合だ。環境問題で保護を訴える周辺住民や自然保護団体よりも、環境破壊に加担する企業の顧問弁護士の方がはるかに待遇も報酬も高い。そんな弁護士たちが運営する事務所からリクルートを受けたことが何度もあったが、なぜか断ってきた。

一郎は、自分は人権派でも左翼でもないつもりだが、この事務所にいることになんとなく居心地の良さを感じていた。それは自分でもなぜか分からない感覚である。

そして、季節が秋口に入ったある日、担当した公判が終了した後、晴れ晴れとした気分となり、東京地方裁判所を依頼人と一緒に出た。依頼人は、中央アジア系の中年男性イアンさんだった。警察から覆面強盗事件の容疑者と間違えられ、不当逮捕を受けた人物だった。外国人で滞在ビザが切れていた門で拘留を受け、その後、無理やり強盗団の一味であると認めた内容の供述書にサインをさせられた。

依頼を受け周辺を独自に調査、そのうえ、警察の不当な捜査手法を暴き、裁判では見事に無罪を勝ち取った。

無罪を勝ち取って弁護士冥利に尽きるものだが、依頼人は必ずしもそうではなく、警察の過酷な取り調べと拘留で心に傷を負い、また、無罪となっても不法滞在には変わりない為、数日内に強制送還の手はずとなる。

本人も、日本にはがっかりさせられた、いい思い出が残せないと残念がっていた。日本に対して、そんな悪い印象を持っては困ると一郎は思った。そうだ、裁判所をしばらく歩いたところに皇居がある。ここを見せてやれば気分転換になるかもと思った。昼食を一緒に取った後、一郎は事務所に電話をして特別に時間をつくり皇居を案内することにした。イアンは、皇居にずっと行ってみたかったので、一郎の申し出を喜んだ。

皇居に近づこうとする道すがら、右翼らしき団体の街頭演説を目にした。マイクを握って演説しているのは、最近、メディア上で愛国運動を鼓舞している新進気鋭の右翼リーダー、宮田義男だ。軍服姿に日の丸の鉢巻き、周囲に日の丸の旗と旭日旗を置いている。時々、この周辺で演説を振るっているのを目にする。日本の政治の中枢だからこそ、最高の自己主張の場となっているらしい。大声で雄たけびを上げ何かを訴えている。よく耳を澄まして聴いてもがなり声が凄いだけで、何を言っているのか分からない。まあ、この男に限らず、右翼と称する者共の言っていることは何なんのかよく分からない。この日本を想う気持ちは誰にも負けない、俺たちは愛国者だ、右翼だ、民族主義者だ、ということなのだろうが。

そんな奴らは無視して、皇居に向かうことにした。

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和装 | 19:17:12 | Trackback(0) | Comments(0)
アレルギー小説「日本男児をやめられない」 第5章 祭りの褌
高温多湿の日本に来てゴム・アレルギーにかかったカナダ人が体験する日本の伝統文化とは。

まずは第1章から第4章までお読み下さい。


ジャックは百合子と泰蔵に六尺褌を着て海岸に行き、太郎に出会ったこと、太郎に言われたことを伝えた。
「へえ、太郎がそんなことをね」と百合子。
「六尺か、わしも昔つけていたな。子供の頃は、海水浴は褌じゃったよ。褌ならば溺れていても、つかみやすく助けられるからな。それに、祭りでもな」と泰蔵。
「祭りって? 夏祭りのこと?」と百合子が不可思議そうな顔を。
「そうじゃぞ」
「うそ、祭りで褌なんて見たことないわ。下はハンダコという短パンをつけて、上は腹巻きと胸から上が裸になるんでしょう」
「おまえは覚えてないかもしれないが、おまえが物心つく前ぐらいは、祭りでは御輿を担ぐ男共は、全員、褌じゃったんだ。腹巻きのさらしは褌にくくりつけていた。その格好で、海渡りもしたんじゃあ」
「へえ、そうなの。初めて知ったわ」
ジャックは「夏祭りですか、今年もあるのですか?」と訊いた。
「ああ、そうじゃよ。確か、今年は順繰りでわしらの家が大将と幹事をすることに」
「え、そうなの?」と百合子。ジャックは興味津々になった。
「そうじゃぞ、しかし、褌をみんなしなくなって、面白くなくなったな。本来、祭りでは、御輿を担ぎ、男衆が海を渡り、無病息災、大漁を神様に願うことになっているのじゃ。祭りが始まった時代は、漁師は皆、褌をしていた。だからこそ、伝統にしたがって、褌を締めるものなんじゃが、時と共に恥ずかしがる若者が出てな。尻を丸出しにするのが恥ずかしいからだってな。昔は、誰も恥ずかしがらなかった。そもそも、ああいう格好をさせることに意義があるものだったんじゃ。男たちの体を見せて、女たちはそれで自分の好みの男を見つけだしたものじゃ。死んだ母ちゃんも、わしの尻を見て、わしと一緒になりたいとおもったと言ってくれた」
「へえ、そうだったの」と百合子が驚きの表情。ジャックも驚いた。

どうして、褌を日本の男は恥ずかしがるようになったのか。ジャックはネットで調べてみることにした。それで分かったことは、太郎が言ったように、日本人のライフスタイルの西洋化が原因の一つとして大きかったみたいだ。19世紀後半から、日本は欧米に見習った近代国家になるため、積極的に西洋文化を採り入れた。その結果、着物から洋服へと着るものを変えていった。そのため、前垂れのある男子の下着としての褌は、ズボンには合わずパンツに変わっていった。

水着としての褌は、西洋人からすると、海岸やプールで尻を丸出しにする格好は、野蛮で恥ずべき姿に映った。かつてオリンピックで日本人選手は練習では褌をしていたが、実際の競技では海パンに着替えたという。

また、工業化が進み既製品として海パンが安価で買え普及することで廃れていったという。かつては、庶民にとっては褌を着るしかなかった。その意味で身につけやすい海パンは普及しやすかった。確かに、トイレに行くたびに褌では外したりつけたりと大変だ。


今では、褌といえば、相撲取りがつける回しとして、そして、一部の祭事でのみ一種の見せ着として男が着用することになっているが、祭事ごとでは、褌は見られなくなってきているという。着ることが少なくなると共に、見ることも少なくなっているので、見せる側も見る側も恥ずかしいと感じるようになっているからだ。なので、褌に替わり、尻と太股を覆うハンダコや股引が主体となっているらしい。

だが、祭りというのは、ある種の伝統を引き継ぐものだ。それを変わりゆく時代にそぐわないからといって捨てていいものなのか。太郎が言っていたように、アイデンティティの問題でもある。日本人は、そんなことを平気でするのか。


翌日、太郎の父親の源が、訪ねてきた。なんでも来週開かれる夏祭りの幹事の引き継ぎをするために来たのだと。今年は順繰りで、二十数年ぶりに、泰蔵と百合子の家に、その役が来たんだという。というのは、源の家と泰蔵の家は、どちらも地元の漁師であり、地元の神社の氏子でもある。氏子の家は、毎年、順繰りで祭事の執り行いの役を担う。
それは、その家の当主とその長男、もしくは娘婿がする役割になっている。幹事になったからには、祭りの目玉イベントである御輿の海渡り担ぎで、御輿の担ぎ棒の先頭にいき掛け声をかけ一行を率いらなければならない。

だが、源は、ジャックに対して、こう言った。
「しかし、大丈夫かな。泰蔵さんは元気ないようだし、それにあんたは外人だからな」


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和装 | 14:16:32 | Trackback(0) | Comments(0)
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