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海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

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ポジティブ・コーチングを考える小説 第8章
元近鉄バッファローズのコーチで97年NYメッツでもコーチとして活躍した立花龍司氏の著作「ポジティブ・コーチング」から発想を得た短編小説

まずは第1章から第7章をお読み下さい。

 俊秀は、今このうえなく幸せだった。アメリカに来て実によかったと思っている。あの時、あのまま日本にいたら今頃どうなっていただろうと考えるときがある。今や、アメリカ大リーグのコーチであり、美しきアメリカ人妻ジュディーの夫であり、二人の娘、四才エミリーと一才のナオミの父である。一家四人でニューヨーク郊外の白い庭付きの家に住んでいる。
 妻ジュディーとは、十五年前に知合い結婚した。ジュディーは日系アメリカ人で高校教師である。十五年前、俊秀が高校生にサッカーの指導をするため彼女の高校に来た時に知り合った。ジュディーは日本語が話せるため、俊秀はきやすく付きあえた。友人同士から、次第に結婚を約束するまでの仲になった。
 もちろんのこと、こんな人生を歩めるようになったのも、すべて三十年以上の付き合いがある無二の親友、遠藤誠、アメリカではマック・エンドー呼ばれている男のおかげである。アメリカに渡った後、遠藤は同じニューヨークの高校を卒業後、ニューヨーク市立大学に入学、その後、ボストンのハーバード大学大学院に進んだ。さすが優等生の遠藤が歩む道だった。
 今や彼は、日本人であることを捨て、アメリカ国籍を取得している。彼は、今ニューヨーク市立大学の国際関係学部で教授職に就いている。博士号も持つ優秀な学者だ。その道では、一際知られた大人物だ。国際関係学部とは、世界的な視野でみる政治、経済、文化の比較論を学ぶ学問だ。
 遠藤の性格は、三十年も経つというのに何一つ変わっていない。相変わらず、自己主張が強く、言いたい放題のことを言いまくっている。だからこそ、大学教授の地位までつけたというもの。アメリカを愛し、アメリカ人になることを選んだ。その方が彼にとってよかったのである。彼は、決して日本の社会に馴染めるタイプではなかった。俊秀は、長年アメリカで暮らし、アメリカ人の女性と結婚して永住権を手にしても、日本人である自分を忘れてはいない。だが、遠藤にとってはアメリカこそが、彼の存在を確かなものにする場所であったのだ。自分を見いだす場所を追い求めるため、日本人であることを捨て切った。
 俊秀は、遠藤のアメリカ人になった選択は正しいものだったと思っている。そこまでの決心をした遠藤を、人間として尊敬している。遠藤は、あの時、俊秀が守った長髪スタイルを今でも続けている。二人の友情は、まさに永遠のものだ。
 今日は、その遠藤が結婚をすることになった。四十代後半まで独身を貫いてきた遠藤がついに結婚である。もちろんのこと、友人として結婚式に招待されている。式はニューヨーク市内の高級ホテルで開かれる予定だ。妻のジュディーは実家の両親に子供たちを預け、すでに行っている。俊秀もこれからホテル内の教会で合流する予定だ。今朝、妻の運転するワゴン車で一緒に行くつもりだったが、仕事で急に呼び出しがかかり、やも得ず、遅れて行くことになった。用事は急であったが、すぐに処理できるものだったので、すぐに戻った。しかし、また急いで家を出なければならない。このままでは式の始まる時間に遅れそうだ。
 俊秀は、スーツ姿で身を固めると電話でタクシーを呼んだ。というのも、彼の愛車フォード・ムスタングの調子がおかしいのだ。エンジンが、途中でがたごと音を鳴らし、急にスピードが落ちてくる。今朝は、なんとか家と職場のトレーニングキャンプの間を往復できたが、これからマンハッタンの市街までを運転するのは不安でならない。金はかかるが、タクシーで行くことにした。
ピンポーン、とインターホンの音が鳴った。
 タクシーが来たなと思い、俊秀は玄関のドアを開けた。目の前に立っていたのは、およそタクシーの運転手には見えない男だった。小柄なアジア人の中年男。よく見ると、日本人ぽいが。
『はい、君がタクシードライバーかい?』
 俊秀は、英語で話しかけた。男の背後の道路を見たが、タクシーらしい車は一台も止まっていない。いつもなら黄色い大きな車がエンジン音を鳴らしたまま止まっているのだが。「中田、久しぶりだな。覚えているかい、俺だよ。山賀だ」
 突然、中田が日本人であることが分かっているかのような日本語が放たれた。小柄な中年男が発した言葉だった。
 俊秀は、一瞬どぎまぎした。いったい何のことを言っているのか。だが、しばらくして山賀という名前、そして、目の前にいる男の顔を見つめ、はっと昔の記憶がよみがえってきた。
「山賀、おまえなのか。中学校の時、一緒だった。料亭に見習い修業に行った。おう、久しぶりだな。おまえ何でここにいるんだ。アメリカには観光で来たのか。そうだ、今や一人前の板前なんだろう?」
 俊秀は、聞きたいことで一杯だった。三十年前、俊秀のアメリカ行きが急に決まり、お互い連絡をすることさえできなくなった。アメリカに着いてからも、俊秀の新しい環境に混乱続きで日本にいた山賀のことなど考える暇もなかった。


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テーマ:まったり小話 - ジャンル:小説・文学

スポーツ | 21:49:40 | Trackback(0) | Comments(0)
ポジティブ・コーチングを考える小説 第7章
元近鉄バッファローズのコーチで97年NYメッツでもコーチとして活躍した立花龍司氏の著作「ポジティブ・コーチング」から発想を得た短編小説

まずは第1章から第6章をお読み下さい。


 山賀真太郎はその日、厨房で、後片付けをさせられていた。相変わらずの後片付けだ。鍋を洗ったり、床をモップで拭いたり、ゴミを捨てたりと。板前らしきことは全くなく相変わらずの雑用ばかりだ。
 今日は心なしか疲れていた。朝から食事を抜かれていたからだ。理由は、朝寝坊をしてしまい、厨房に来るのが二分遅れてしまったからだ。このような食事抜きの罰は、週に一度の割合で受けている。
 ガシャーン、と器が割れたような大きな音がした。真太郎は、音のしたところへ向かった。それは、大将の部屋だった。そこに二人の先輩がいた。
 見ると、床に陶器の器が砕け散っていた。真太郎は、砕け散った器に見覚えがあった。大将が重宝している瀬戸焼きの茶碗だ。何百万円もすると聞いたことがある。
「どうしたんです?」
「何でもねえよ。つい珍しくて見てたら、手が滑ってしまったんだ」
 二人の先輩は、うろたえていた。大将に知られれば殺されてしまう。その時、どんどんという力強い足音が近付いてきた。その足音とは、まさに大将の足音だった。二人の先輩は顔が真っ青になっていた。
「何やっているんだ、おまえら?」
 大将が部屋に入ってきた。即座に床に砕け散った瀬戸焼きの破片を見付けた。
「おまえらが、やったのか!」
 大将が、怒鳴り声を上げた。
「こいつがやったんです。真太郎がやったんです。こいつが茶碗を落とした音を聞いて俺たち何だろうと思いここに来たんです」
「何だと!」
 大将が真太郎をにらむ。
「違います。やっていません。おれはやっていません。割れる音がしてここに来たら・・・」
 大将が、真太郎の衿をつかみ引っ張った。どんどん引っ張られ、厨房まで連れていかれた。大将は相撲取りのように大柄で力が強く真太郎の体など楽々と引きずってしまう
 真太郎は、濡れ衣だと叫び続けたが、大将は聞く耳を持っていない。
 バシ、と真太郎は殴り飛ばされた。次に大将は、水道の蛇口につながったホースを手に取り、蛇口を回すと水を真太郎に吹きかけた。真太郎は、全身水びだしになった。
「このウスナロチビ! おまえなど出てけ!何も働けず役立たずのくせに、今までおいてもらったことだけでも感謝しろ。出ていって、死んでしまえ」
 大将が、そう言って怒鳴る傍ら、先輩たちが嘲笑う表情をして真太郎を見ている。
 大将は、自分よりもあんな奴らの言うことを信じている。そして、自分のことをずっとゴミのようにしか見ていなかった。今までずっと大将の店で辛抱してきたのは何だったのか! 真太郎は目から涙が溢れた。
 真太郎は、ふとそばに細長い刺身包丁があるのに気付いた。真太郎は、我を忘れた。
 包丁をさっと手に取ると、大将に向かって突進した。

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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

スポーツ | 21:01:50 | Trackback(0) | Comments(0)
ポジティブ・コーチングを考える小説 第6章
元近鉄バッファローズのコーチで97年NYメッツでもコーチとして活躍した立花龍司氏の著作「ポジティブ・コーチング」から発想を得た短編小説

まずは第1章から第5章をお読み下さい。


 遠藤医師は説明を続けた。俊秀が、日課としてやってきた兎飛び、足を真直ぐにして上体を持ち上げる腹筋運動、腰にロープを巻いてタイヤを引っ張る運動、これらは筋力増強にはあまり役に立っておらず、むしろ、無理な体勢により体の重心となる腰に余計な負担をかけることとになっていた。結果、ヘルニアを引き起こす原因ともなったのだ。
 また、毎日連続して休むことなく筋肉トレーニングをやってきたことにも問題があった。筋肉とは、ある程度休ませなければ筋力増強にはつながらないからだ。筋肉は一度運動を経験すると筋肉を構成する筋肉繊維が痛めつけられ、トレーニング前よりパワーを失うが、それが元の状態へと回復する時に以前より筋肉を構成する筋肉繊維が太くなりパワーを増強させる仕組みになっている。いわゆる「超回復」だ。適度に運動すれば、それに対応して適度に体を休ませなければいけない。ひたすら筋肉を痛めつけてしまったため、腰を中心とした体全体を支える力を弱めてしまう結果となったことが考えられる。そのうえ、試合となればエース投手の俊秀は連日登板で筋肉を使い続ける。
 俊秀は、休んでは体がなまってしまうと思い込んでいた。つらいが、筋肉を常に動かし続けなければいけないと今まで信じ込んでいた。俊秀に限らず、野球部の監督、部員、皆が信じてきたことだったのだ。兎飛び、足を真直ぐ伸ばして上体を持ち上げる腹筋、タイヤ引き、これら毎日休まずこなしてきた筋力トレーニングのメニューが、裏目に出てしまったことは悔やんでも悔やみきれない。
 さらに、俊秀の神話を覆すことを遠藤医師は話した。

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テーマ:誰かに伝えたくなる、話。(*´ー`) - ジャンル:小説・文学

スポーツ | 22:17:48 | Trackback(0) | Comments(0)
ポジティブ・コーチングを考える小説 第4章
元近鉄バッファローズのコーチで97年NYメッツでもコーチとして活躍した立花龍司氏の著作「ポジティブ・コーチング」から発想を得た短編小説

まずは第1章から第3章をお読み下さい。


 試合結果を聞いたのは、次の日だった。K高校は、九回表の攻撃で得点を上げられず〇対一で負け、甲子園の出場権をまたしても逃した。そして、エースピッチャーが、マウンド上でぎっくり腰を起こし、バッターに子供が投げるようなゆるい球を与え得点を取られたという醜態が、負けをただの負けでなく、不名誉の負けというものにしてしまった。

 俊秀は、椎間板ヘルニアと診断された。これは、背骨の輪切り上に別れた骨と骨をつなぐ椎間板と呼ばれる支えが腰の辺りでずれを起こし、背骨の神経を圧迫、激しい痛みを起こすというものだ。腰痛といってもヘルニアに関しては俊秀ぐらいの年令でなるのも珍しいケースではないらしい。原因はいろいろと考えられる。思い荷物を持ったことや、普段の悪い姿勢。もちろんのこと、俊秀のようなスポーツ選手が、激しい運動を積み重ねた末に腰を悪くするケースもあるという。腰は体の中心だ。体にかかる負担をもっとも敏感に受けるところでもある。
 俊秀は、三週間の入院を言い渡された。その間、ずっとベッドに寝かされ、腰には、牽引器という重りをつなげたベルトを巻き付けられた。重りが、ベッドのついたてにぶらさがりベルトで巻かれた腰を引っ張り、椎間板の状態を矯正するのだ。
 その間に、一学期が終わり夏休みに入った。夏の甲子園大会も始まった。K高校を敗ったT学園は、一回戦で敗退を喫した。県ではトップの野球部だが全国レベルでは決して強いとは言えないのだ。毎年良くても二回戦止まりだ。そのことが、俊秀にとって屈辱的でならなかった。自分のチームを敗った相手が、その程度の実力だということである。負けた甲斐もないというもの。そのうえ、あんな恥ずかしい姿を露わにして負けてしまったのだ。
 退院後、俊秀には様々な試練がやってきた。まずは、野球部を辞めさせられたこと。野球選手が腰を駄目にしては全てがおしまいだからだ。全くの役立たずとしてしか見られなくなった。監督には、普段の健康管理の怠慢が、あんな恥ずかしい事態を招いたと罵られた。
 父親も俊秀に冷たく当たった。「不様な姿を大勢の人々に見せつけたおまえを息子に持って恥ずかしい」と言い放った。源太郎は、最近自分の同期の者が部長に昇格し出世を追い越された悔やみから機嫌が悪く、俊秀は、そのとばっちりを受けた形だったが、父親の言葉には深く傷ついた。
 担任の蒲田と校長は俊秀の家を訪ね告げた。これからは、野球のことは忘れ勉強に専念しなさいと。もう、特別扱いはしないのだと。まるで手の平を返したような態度を見せつけた。一緒に戦ったた部員たちは、町で顔を合わせても、話しかけず、わざと俊秀を無視した。

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テーマ:下手な短編小説ですが・・・。 - ジャンル:小説・文学

スポーツ | 23:40:52 | Trackback(0) | Comments(0)
ポジティブ・コーチングを考える小説 第1章
元近鉄バッファローズのコーチで97年NYメッツでもコーチとして活躍した立花龍司氏の著作「ポジティブ・コーチング」から発想を得た短編小説

一九八三年 夏
 
「おしんの「しん」は、辛抱のしん!」
 それは、その年の流行言葉だった。おしんとは、NHKの朝の連続ドラマに登場した主人公の女性の名前だ。明治から昭和までの時代をさまざまな苦難を乗り越えながら生き抜くおしんの姿に日本中が大感動した。おしんは、十歳にも満たない幼いときに、家族の貧しさゆえに米俵と交換に奉公に出されてしまう。
 小さい体の背に奉公先の赤ん坊を抱え子守する姿は、苦難の人生を生き抜くおしんの象徴であった。今の時代なら誰もが学校に行って勉強をする年頃に、家族のため必死になって働かなければならなかったのだ。
 昔の子供たちは、辛抱強くてえらい。それに比べ、今の子供たちは恵まれ過ぎて、わがままでどうしようもない。おしんに見習って、辛抱強くなりなさい!
 そんな言葉が、巷に飛び交った。 
 中田俊秀は、その頃十七歳の高校二年生だった。頭を丸刈りにした野球部に所属する硬派な高校生。毎日六時間にも及ぶ部の特訓も、はやりの「辛抱」の精神で頑張っているつもりであった。純情で一途な野球少年であった。
 野球を始めたのは、小学生のリトルリーグの時からであった。守備のポジションは、ピッチャーである。中学の時にエースに抜擢され、県内の地区大会でチームを準優勝させた実績がある。その実績を買われ、県内でも屈指の野球の名門であり、また、進学校として名の知れた県立K高校に推薦入学できた。
 K高校は、創立八十年の伝統があり、毎年国立や私立の名門大学へ合格者を輩出していた。野球に関しては、毎年、県の予選で準決勝か決勝までいくほど実力のあるところだ。
 だが、惜しくも今まで甲子園出場は果たしたことがない。だからこそ、K高校は俊秀のような優秀な選手を集め、進学のみならず野球でも格を上げ文武両道を確立しようとしていた。そのおかげで俊秀は、成績がさほど良くはないにもかかわらず、K高校に入学ができた。
 俊秀は心に決めていた。K高校のためにも甲子園出場を果たしてやる。そして、甲子園で大活躍をしたら、目指すはプロ野球だ。
 そのためには必死になって体を鍛えなくてはならない。K高校の野球部ではとりあえずエースの座にあるが、全国レベルでは、まだまだ自分は未熟なレベルにある。野球で特に重要なのは、足腰と腹筋である。バッティングにも、ピッチングにも体全体を支え正しいフォームを形付ける下半身の力は重要なのである。
 俊秀は毎日、日課として兎飛びでグラウンドを十周、腰にタイヤをつなげたロープを巻いてタイヤ二輪を引っぱり走るトレーニングを五週している。腹筋は、地面に仰向けになった上で部員に足首を支えてもらいながら上体を起こすという練習を毎日百回こなす。また、ピッチャーとしてより速い球を投げられるようになるため、肩の筋力増強のため毎日腕立て伏せ百回、懸垂百回を行なっている。
 特に最近は、ピッチングの速度が伸び悩み、克服課題の一つとなっている。毎日休まずこれらの日課を繰り返している。
 かなり辛い練習だが、これだけの辛抱ができなければ自分はけっして強くなれないと信じていた。野球部の監督も、先輩も、同学年の部員も、一年生の後輩も、みんな同じことを信じている。だから頑張っている。俊秀の尊敬する父親も言っている。
「辛抱すれば、いつか報われる」と。
 俊秀の家庭は、父親が大手一流商社の会社員で課長職についている。母親は、典型的な中年の専業主婦だ。そして、俊秀は、その両親の一人息子である。父、源太郎は、年齢四十二歳、頑固で檄を飛ばすと恐い男である。時には俊秀を殴り、食事の置かれた卓袱台をひっくり返すことがある。
 俊秀と同じく昔は、高校球児だった。甲子園の夢は果たせなかったが、かつては俊秀と同様学校のエースピッチャーとして活躍したことがある。息子の自分に自らが果たせなかった甲子園の夢を叶えて貰いたいと思っているのだった。
 母、恵津子は、良妻賢母という言葉がぴったりの女性であった。優しく、女らしく、父親と自分のために、おいしい弁当を作ってくれる。そして、まるでおしんのように辛抱強いところがある。俊秀にとっては女性の理想像だった。
 

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スポーツ | 13:30:53 | Trackback(0) | Comments(0)

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