■プロフィール

海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

■最近の記事
■最近のコメント

■最近のトラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
社会教訓小説2: ふれあい商店街 第1章 プライベート・ブランド
日の丸に死す」に続く人間と社会のつながりをテーマにした軽小説。失われた地域コミュニティが問いかけるものとは。軽小説スタイルで。

プライベート・ブランドという言葉を知っていますか。これは、スーパーマーケットなどの大型小売店が、店独自のブランドで商品をメーカーに委託して製造し販売するもので、ストア・ブランドとも呼ばれます。これは欧米ではかなり普及しており、その流れを受けて日本でも同様の商品が販売され、現在、全小売市場の1割近くを占めるまでになっています。

プライベート・ブランドに対して、広告で知られたメーカーのブランドがつく普通の商品をナショナル・ブランドと呼びますが、比較して何が違い優れているのかというと、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドに対して価格が安いところでしょう。そして、それこそが大型小売店がプライベート・ブランドを採用している理由なのです。価格が同様の商品と比較して1割から2割ほど安くなります。どうして、それが可能なのか、それはナショナル・ブランドと違い宣伝広告費を省け、また、流通経路を簡略化できるので在庫管理などの費用も省けるからです。商品の販売場所は製造前から決まっており、商品は消費者が訪ねた店にしかないものというのが特徴。なので製造から販売までの中間過程がごっそり抜けているのです。

まさに、小売店業界の熾烈な価格競争で生き抜く方法として考案されたものだといえます。

さて、これからお届けする物語は、そんな業界に身を置く一人の女性が体験する奇妙な出来事です。それはプライベート・ブランドが巻き起こす地域社会のふれあいを知るストーリー。

篠原真知子は、29歳で、現在、大手外資系スーパーマーケット・チェーンであるウォーリーマートの商品開発部で働いている。この部署は、主にウォーリーマートのチェーン店で販売する様々な独自ブランド商品の開発を責務とするところである。本社のあるアメリカ仕込みのプライベート・ブランド商品開発は、真知子にとって生き甲斐を感じられる仕事であった。商品はメーカーが造っているのだが、それに独自のパッケージを考え、商品に独自イメージを添えていくのが仕事である。もちろん、場合によっては、そのパッケージのイメージに合う商品の製造を委託することもある。商品の種類は、牛乳、冷凍食品などの食料品、洗剤、トイレットペーパーなどの日用消耗品、洋服、靴下、財布などの生活用品と、スーパーに行けば目にする日常生活で必要とする多種多様な商品である。

商品を製造するメーカー企業と違い、特定の商品をつくったり、そのマーケティングを行うのとは違う。幅広い商品を如何に上手く店頭販売するかが、腕の見せ所となるのだ。

目下、ウォーリーマートの主力プライベート・ブランドは「ウォーリーバリュー」である。これはアメリカの同店ブランドを引き継いだもの。

各商品のパッケージや値札に「ウォーリーバリュー」のロゴが印刷されている。つまりは、商品の製造から販売、品質の保証までウォーリーマートが担うということを意味するのだ。そして、商品はナショナル・ブランドより1割から3割ほど安い価格設定になっている。

真知子は大学で経済学を学び、卒業後、新卒としてウォーリーマート・ジャパンに入社した。アメリカ系の会社だけあって、実力主義だが、能力があると認められれば、女性であることや年齢の若さに関係なく、よいポジションに抜擢される。彼女の上司である開発部長の牧原部長は女性で39歳というバリバリのキャリアウーマン。

入社以来、大学で学んだこと以上に、小売り業界にかかわるあらゆることを学んだ。商品はどのようにして売られていくのか、いかに利益を出すかが主要学習項目だ。値入り率、SKU、利益率、ブランディング等々、社内では懇切丁寧に研修が行われていた。彼女は、新入社員の中で一番呑み込みが早かった。

真知子は、最近、部内で主任の地位に就くことになった。彼女の市場調査の能力と成果を買ってのことだ。そのことで、ますます自信がつくようになった。自分のプロジェクトチームを持ち、10人近い部下を率いて日夜、社の売上向上に貢献することを生き甲斐にしている。

ウォーリーマート・ジャパンの本社は、25年前に日本に進出した時の第1号店であるT町店の隣接するビルにある。すでに全国に100店舗のチェーンをかかえているが、この第1号店が一番規模が大きい。そして、さらに拡張のため、オフィスとして使っていたビルのフロアを店舗として使う運びになった。新社屋は、隣隣の町で、やや郊外となる住宅地に近々開店予定のこれまた新店舗に隣接するビルである。すでにオフィスとなる建物はできていて、引っ越しが進んでいるものの、店舗の方は、まだ完成するのに時間がかかるとのことだ。

昨今、社の企画としては進出25周年記念として、新たなブランドを立ち上げ、1号店の新拡張フロアで盛大なお披露目イベントを開くことが決まった。

そのための新たなブランドの企画が社を挙げて進行中だ。もちろんのこと、商品開発部が主軸となって進めなければいけない。新ブランドは、今までと違い、価格でナショナル・ブランドと対抗するのではなく、新たな高品質のラインアップを目指しているとのことだ。プライベート・ブランドは、ウォーリーマート・ジャパンが始めて以来、他の小売店も同様の商品を販売し始め、特に珍しいものではなくなったほど普及している。それならば、今度は、価格は高めでも品質で対抗できるものがあるのではないかと新ブランドの立ち上げを目指している。


続きを読む >>
スポンサーサイト
軽小説 | 23:35:08 | Trackback(0) | Comments(0)
旅小説「私を沖縄に連れてって」 第3章 浜辺
米軍基地建設をめぐる海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章第2章をお読み下さい。 

 漁師になるとはどんなことか、さすがの龍司も、沖縄行きの前にちょっとした予備知識を蓄えた。
 日本全国には、現在、二十三万人の漁師がいるといわれる。漁師には、沿海の漁師と、出港したら数ヶ月、洋上に居続けながら漁をしなければいけない遠洋漁業の主に二種類がある。これから、辺奈古でするのは沿海漁業になる。
 これまでサラリーマンとして暮らしてきた龍司にとって漁師なんて、無縁の世界だと思っていた。都会育ちで、日々口にする食べ物がどこから来るのかなど考えたこともなかった。
 はっきりいって、漁師はサラリーマンというような一定の給与を貰い安定した暮らしをするという労働形態はほとんどない。基本的に自由業だ。
 自由業といっても、誰でもできるわけではなく。各漁場の漁業権を独占してもつ漁業組合に所属しなければいけない。
 そして、いざ漁師となると、自営業として、操業用の船、機材、無線を自前で購入、必要な資格を習得しなければいけない。
 その点は、何もかもお膳立てして貰い、決まった業務をこなすだけのサラリーマンとは大違いなのである。
 もちろんのこと、自営業だからこそ、自由に働く日や時間を選べる。
 しかし、収入は安定しているものではない。はっきりいえば安い。もちろん、大漁になれば別だが、普通はそんなに期待できるものではない。当然、自然の海が相手だから、天候や海の状態に収入は大きく左右される。天候が悪ければ、漁に出ることさえ出来ない。漁に出ても、必ずしも、魚を収穫できるとも、限らない。
 いざ、働くとなると、きつい、汚い、危険という言葉がつく3Kの世界である。朝は、たいてい午前五時ぐらいから起きて漁にでかけるのが普通である。重い道具を運んだり、荒波の中で船を操舵したり、獲った魚と格闘したりと凄まじい体力を要する。
 収入が高いとはいえず安定せず3Kの職種。当然のこと、なりたがる人は多いとはいえない。むしろ、年々減っているのが現状らしい。
 そもそもが、漁村内の家族経営で代々受け継がれるものであり、漁師というのは子供の頃から、その漁村で生まれ育った者が親に師事して一人前の漁師となるというのが従来からのシステムで。龍司のようなよそ者が入り込むというのは稀らしい。
 だが、最近では、漁業の衰退から、親の跡を継がない子弟もいるため、家族経営での伝承がなくなり、よそ者で他業種からの転職を希望する人々を受け入れることもあるらしい。
 ただ、そうは言っても、他業種からの未経験者がするにはクリアすべき条件がある。当然のことながら、体力の問題である。
 特に龍司のような三十代にもなると、今更鍛えて強くなるなんてことは期待できない。
 その点、龍司は体力には自信があった。小学校の頃から水泳をやっており、中学・高校の時は水泳部に所属、インターハイに出場したこともあった。また、大学に入ってからは、水球部に所属していたことがあった。
 社会人になっても、得意の水泳は続けており、その他、ジョギング、ジムでの筋肉トレーニング、数年前からは空手道場に通い、黒帯の初段を取るほどであった。百八十五センチの長身の上、体は筋肉質であるので、誰が見ても体力や腕力には問題がないことが一目で分かる男だ。
 そのうえで、最初の半年間は所属することになる漁業組合の熟練漁師から半年から一年間の見習い研修を受け、その後、独立の運びとなる。

 龍司が今いるのは、辺奈古といわれる漁港だ。漁港を挟んで右側が、辺奈古川という川が海と合流する川下で湿地帯になっている。左側が、長く続くビーチだ。ビーチの先に何棟かの建物が見える。リゾートホテルだろうか。

 夏真っ盛りの八月、沖縄は暑い。だが、不思議なことに東京ほどの暑さを感じない。おそらく、海風が吹くせいだろう。東京はコンクリートジャングルで、湿気も熱気もたちこみ体感温度が非常に高くなる。そのうえ、背広にネクタイの着用となれば尚のことだ。今は、身軽なTシャツと半ズボンを着ている。
「さ、いくぞ」
と安次富は龍司を案内する。鉄筋の二階建てで建ったばかりのような立派で新しい建物があった。「辺奈古漁業組合保全施設、漁業研修所」と壁に文字が打ち付けられている。
 ここか、と思いきや、安次富は、その鉄筋の立派な建物を素通りした。
 漁港とは反対側の奥まったところ、丁度、丘の山肌に接するところにぼろい平屋の建物があった。鉄筋でできているが、壁が黒ずんでいてかなりの年代物だ。
 建物の周りには、籠や網などの道具が置いてある。
 建物のドアを開け中に入る。


続きを読む >>

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

沖縄 | 11:42:21 | Trackback(0) | Comments(0)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。