■プロフィール

海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

■最近の記事
■最近のコメント

■最近のトラックバック

■月別アーカイブ
■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
KIMONOを着よう! 第5章 京都へ
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。軽小説スタイルで。

まずは第1章から第4章までお読みください。

最近になって、一郎たちが弁護する日の丸・君が代拒否訴訟の裁判所前で、右翼団体がメガホンを持って演説をするようになった。都教育委員会から処分を受けた教師たちとそれを弁護する一郎たちに向けて非難のメッセージを叫び、行き交う人々に誹謗中傷のビラを配っているのだ。一郎たちは彼らにかまうことなく裁判所内に入る。もっとも、一郎たちは、こういうのには慣れっこだ。

この手の右翼連中は対立勢力から雇われていることが多い。がなり声を上げ、脅せば原告と弁護士たちが屈するだろうと思い込んでいるのだ。だが、どうせ雇われの身、雄たけびを上げることはするが、暴力行為にまで及ぶことはしない。そのことで警察沙汰になると自分たちの雇い主が損をするからだ。

それに右翼といっても、愛国心とか、伝統とか何も分からず、かっこつけるための道具にしているにすぎない。何も、メガホンを取ったり街宣車を乗り回す連中に限ったことではない。メディアなどで発言する右翼と称する言論人や学者、はたまた政治家どもに共通していえる。

例えば、子供に体罰することは伝統的な教育だと豪語しているが、そもそも、日本は古来から子供は叩いてはいけないという考えが根強い。学校の体罰は法律で禁じられているが、それは最近できた法律ではない。日本で最初に制定されたのは明治時代初期だ。新しく採りいれられた西洋的な鞭打つ学校教育に対して批判が起こり、教師がむやみに子供に体罰をくわえさせない為、制定されたのだ。体罰が学校で日常化したのはむしろ戦後のことだ。

同性愛者に対して侮蔑な言葉を発する保守の論者がいるが、それまた日本の伝統文化とは相容れない。日本には江戸時代まで男色、衆道と呼ばれる男性同士の性的な関係を表す言葉があり、実際に異端視されることなくそれがなされていた歴史がある。同性愛の異端視は明治時代に西洋のキリスト教的な価値観の流入により強化されてきたものだ。

伝統的な家族の絆や価値観を守るため、夫婦別姓に反対の声を上げるが、日本で夫婦が同じ姓を名乗るのが一般化したのは明治時代からである。大半の人々には苗字さえなかった。家族制度に関する法律の民法も明治時代から制定されたもので、その多くは当時の西洋の国々の家族制度が元になっている。離婚後、女性が半年間再婚できないという制度はその例で、当の西洋の諸国ではとっくに廃止されている制度だ。

脱原発運動に対して批判の声を上げる保守の者共だが、福島第1原発の事故で分かったように、安全神話など大ウソで国土が広範囲に汚染され人々の住む場所から地域コミュニティまで奪うようなものをどうして推進しようとするのか。

彼らを、右翼とか、保守とか、伝統主義者とか呼ぶのがはばかられる。

そんな折、日の丸・君が代裁判に取り組む我々に思わぬ電話がかかってきた。何でも京都に来て依頼内容を聞いてほしいというのだ。依頼人は京都に住まいを構えている人物で実業家だという。電話をかけたのは、その秘書であるという。電話では詳しい内容はいえないが引き受けてくれれば報酬はかなり出すという。事務所の連中は所長を含め、怪訝気味だった。何かあくどい陰謀に巻き込まれてしないか。それに京都なら京都の弁護士に依頼をするものだ。遠く離れた東京の一郎たちでないとできない依頼だという。

ところが、一郎たちの事務所は財政的に最近逼迫している状態だ。人権派の弱小事務所ならでは悩みだ。所長としては方針に反することはしたくはないものの、話だけは聞きに行こうと思い、誰かを京都に送ろうと決めた。だが、そこで、依頼人側から思わぬ条件を出された。依頼人と会うためには、弁護士は着物を着てこなければいけないというのだ。

事務所の者共は当惑した。弁護士の中に着物を持っている者などいないのではないか。だが、一郎は持っていると言った。そんなことで、一郎が京都に行き依頼人に会いに行くこととなった。何でも依頼人の名はFBという。イニシャルのみしかおしえられていない。直接会って話をきいて、自らを知ってくれというのだ。一体どういうことなのだろう。


一郎は朝早く京都へと出発した。着物を着て新幹線に乗る。依頼人が切符を提供してくれたグリーン車だ。ゆったりとした席でほっとした。着物は広がりのある服だから、ゆったりしている方がいい。京都駅について席から立ち、列車を出ようとすると思わぬハプニングが。袖下に入れていた携帯電話が通路側席に座っている客の頭に袖が当たり、かたいものがふと当たってしまったのだ。
「いてえわ」と客の中年男は怒鳴った。
「申し訳ございません」と一郎は頭を深く下げ申し訳なさそうに謝った。
男は「気いつけえよ」と返した。
ああ、これが着物というものか、困ったな、と思いながら列車を出て駅を出る。
渡されたメモで面会場所の気物庵という場所へ向かう。タクシーを呼んだ。タクシー代も依頼人が負担してくれるのだと。タクシーは30分ほどして、駅のある中心街から離れたややひっそりとした住宅街にとまった。

タクシーを降りてから、坂道を歩いて渡ることになった。車が入れないほどの細い道だ。上り坂なので着物だと実にしんどい。どうしてこんな辺鄙なところまでと思った。「この先、気物庵」という看板が見えた。周囲は半分落ち葉になっている紅葉と竹林だ。冬間近の京都なので、着物に羽織では少し寒い。コートを着て来たかったが、一郎が持っているものでは着物の袖は通せない。

「気物庵」という木彫りの看板が見えた。格子の戸口がその看板表札の横に見えた。あそこが玄関口らしい。午前11時、丁度、約束の時間であった。格子戸が開かれ、着物を着た初老の女性が現われた。
「ようこそおいで下さいました。主人が待っております」と女性は挨拶をして、一郎を迎え入れた。
一郎は中に入ると、そこは風流な日本庭園に御立派な和風の屋敷である。さすが大物実業家だ。果たしてどんな人物なのか。屋敷の玄関口に入る。草履を脱ぐ。中に入っていくと、長い廊下を渡る。突き当たったところの部屋で立ち止まると、女性が廊下の床に正座して襖に手をかける。
「あなたも腰を落として」と声をかける。一郎も床に座った。
女性が襖を開けると、中は8畳ほどの和室であった。床の間、そして、床の間の横には茶釜が置いてあった。あ、ここは茶室なのか。茶道をする場所なのだろうか。
女性が立ち上がり、一郎も後に続いて中に入る。女性が茶釜に近いところに座る。一路はその横に何気なく座った。
「しばらくお待ちください。主人が来ますから」と女性がいってから1分ほどして、襖が開かれた。
「失礼致します」と言いながら男が現われた。戸口に座っていたが、立ち上がり中に入ってきた。
一郎は男を見て驚きの表情が隠せなかった。男は初老で着物を着ている。いかにも茶人だが、白髪で顔を見ると、どうやら日本人ではないということが分かる。
「はじめまして。私は依頼人のフランシス・ブービエと申します。あなたが弁護士さんですね。お会いできて光栄です」
フランシス・ブービエという名前で、彼がフランス人であるということが分かった。フランス人が茶席の亭主?
そのうえ、流暢な日本語を話す。彼が依頼人? あ、そういえばこの人物、メディアで何度か顔を見た覚えがある。フランスきっての大金持ちで欧州と日本でホテルや金融業などを手掛けている人と聞く。そんな人物が、いったいぜんたいどういうわけで、こんなところに?

第6章へつづく
スポンサーサイト

テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

和装 | 16:55:03 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。