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海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

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翻訳者小説「風と共に去らないでくれ」 第4章 卑猥
映画で国家の危機を救えるか。

まずは第1章から第3章までお読み下さい。

内務省から来た検閲官は、名を小野田といった。眼鏡をかけ顔が細く、年齢は40ぐらいのようだ。なんだかいかつい。まあ、そんなものだと思った。今まで、何人かの検閲官と会ったことがあるが、みんなそんな風な奴らだった。もっとも、対応は社長がしていた。自分は、挨拶をしたり、時々、訳文の説明をするのに同席したぐらいだ。

今日から数日、この映画の検閲をするに当たって、ずっと同席をしてもいいということだ。社長も、いつも通り同席するはずだったが、何でも別れを持ちかけた妾が自殺未遂を起こしたため、急遽来れなくなり、達朗一人だけで対応してくれといわれた。

これは、かえって難しくなるかもしれない。社長は人当たりがよく交渉上手だから、自分が訳や編集のことで、検閲官ともめても、潤滑油のような役割を担ってくれると期待できたのだが、その潤滑油がない。思いっきり自分の主張ができる反面、相手を激怒させ全てをおじゃんにしてしまいかねない。

慎重さが大切だ。

まずは、この4時間近い映画が、前編と後編に分かれているので、最初に前編の原語の台本と訳文ノートをざっと読んで貰い、その後にフィルムを上映。区切りのいいところでは止めて、台本、ノートと見合わせて観賞して内容理解しながら流していく。その後、後編もノートを読んで上映とした。それで、その日は終わった。小野田は、ノートを読む際も、映画を観ている時も一切、表情を変えずに、何を考えているのか分からないという感じの態度だった。
小野田は英語を高等学校などで学んでいたので、それなりに理解ができるというので、原語の台本と訳文、映画の台詞を話している状況で、字幕なしでも、しっかり字幕を見た普通の観客と同様の立場で観賞ができて理解したと、明日、具体的な検閲指示をすると言って映写室を去った。

そして、翌日となった。

思った通り、かなりの削除指示があるとのことだ。まずは、なんといっても、ラブシーンだ。接吻、つまりキスシーンは全てカット。ま、それはこれまでの洋画でよくあったことなので予想できたが、しかし、困ることがある。

最初のキスシーンは、スカーレットが恋いこがれるアシュレーが婚約者のメラニーとキスをする場面。それは、スカーレットが窓越しでそんな二人の姿を眺めるところだ。その時、スカーレットはメラニーの鈍そうな兄チャールズから求婚を受けているところだった。当然、スカーレットは乗り気ではないが、アシュレーとメラニーのキスし合っている情景を見て、自分をふったアシュレーに対する腹いせから、チャールズの求婚を受けるのだ。

なので、カットするとその辺の事情が分からなくなる。しかしながら、キスしている場面はカットされても、アシュレーとメラニーが親しげに話す場面と、それを窓越しに眺めるスカーレットの悲しそうな表情で、その事情を読み取って貰えるだろうと期待した。

だが、もう一つ重要なキスシーンがある。


それは、後編で、スカーレットの二番目の夫、フランク・ケネディが死んだ後に、レットが求婚してくるところだ。
スカーレットは当然の如く、喪に服したばかりの自分が再婚などできるはずがないと拒否するが、それをレットの強引で激しく数分間のキスで心変わりして、いとも簡単に受けてしまうところだ。
ここは、我が許嫁、律子が、女を馬鹿にしていると非難した場面だ。

このシーンをカットしてしまうと、観客はなぜ、スカーレットが求婚を受けたのか分からなくなってしまう。どうして、喪中の身であり、かねてから対立さえしていた男の求婚をいとも簡単に受けてしまったのか。

編集するのなら、「遊びのつもりでしてみないか」とレットがまくし立てる場面で切り、さっと新婚旅行の場面に飛ぶことで何とかつなげられるか、しかし、それでも説得力に欠く。だけど、律子は喜ぶかなと思った。

キスシーン意外にも、卑猥だとカットを命ぜられた場面があった。何かと思ったら、後編で、スカーレットが北軍の兵士を撃ち殺した後、死体から流れる血を抑えるため、メラニーがパジャマを脱いで止血用の布としてスカーレットに渡す場面だ。

メラニーは素っ裸になるわけだが、もちろん、そんな姿は映し出されていない。せいぜい肩の肌がちらりと見えて、恥ずかしがっているだけである。だが、観客には、明らかにその場で全裸姿になった彼女の姿が想像されてしまう。

これはまずいということなので、すっぱりとカットした。

しかし、滑稽だと達朗は思った。西洋人のキスを含めた映像描写を卑猥だと非難している、この小野田のような男は、かつて日本が世界中のどこよりも、その辺の表現が達者であった歴史を忘れてやがる。

江戸時代に庶民の間で流行した春画が、その典型だ。達朗は、それをアメリカ滞在中に東洋文化の研究をしている白人の学者から見せて貰い知った。

それは、それは、凄まじいものばかりだ。写真ではなく絵だが、堂々と男と女の性器を、そのまま、それをさも強調するように描いている。それが、なぜか、明治維新以降、西洋のキリスト教的な性を卑猥だとする価値観が埋め込まれ変わっていったというのが歴史の流れだ。考えてみれば、神社などの御神体が堂々と陳列されているところからも、日本人は、そもそも、そんなものに大らかだったはずなのである。

西洋人からすれば、キスというのは一種の習慣的なものととらえる傾向があり、別に卑猥な行為とはみなされていない。卑猥と考えるのなら、そもそも映画の場面に映し出されるはずがないのだ。

どうも、小野田を含め、お堅い連中は、その辺を取り違え、西洋は自由で乱れていて、我々は厳格で保守的であり続けていると思い込んでいる。

そんな「卑猥な」シーンの削除の指示の後、次に新たなる削除の指示が下された。

それは「反国家的で戦意の低下を招きかねない」という理由からだ。

第5章へつづく。
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テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

軽小説 | 01:23:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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