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海形将志

Author:海形将志
40代、独身、東京在住。仕事は翻訳業。米留学経験有り。

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KIMONOを着よう! 第2章 祖父の形見
日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。

まずは第1章からお読みください。

大手門から、東御苑に入る。それから、後は、同心番所、百人番所、大番所と、かつての江戸城の検門のシステムについて語った。大番所の後は、本丸の芝生と天守閣跡と続く。かつては、建物が数多く並んでいたが、多田の芝生と、石垣だけの場所となっている。かつての本丸にあった表、中奥、大奥と呼ばれた各セクションの説明をした。中でも、人々の気を引いたのは、天守閣に近い場所にあった大奥というところ。
oooku.jpg
大奥は男子禁制であり、女中と将軍の妻と側室のみが居住を許され、男性で中に入れたのは将軍のみであり、将軍にとっては女性ばかりの園であり、いわばハーレムのような役割であったと清美が説明。一郎は付け加えて「将軍のためのハーレムは、三代将軍家光がゲイであり、血筋が途切れるのを恐れた将軍の腹心が考え出したものなのです。将軍が好むような美女を江戸の町からかき集めて女の園をつくりあげました。その後、江戸幕府末期まで男子禁制のシステムが続いたのです」と言うと、ゲストはイアンさんも含め驚きの表情となり、同時に笑いも起こった。清美さんも、ふふ、と微笑みを浮かべた。そばにいた真美さんもだ。

その後、二ノ丸庭園、江戸城の裏門であった平川門まで行き、ツアーは終了、解散となった。
hirakawa.jpg

ゲストは、とても楽しかった。勉強になったと一様にいい反応。特にイアンさんが満足げだった。「日本に来てよかったですよ。最後にいい思い出をありがとう」と言った。

ゲストが去った後、清美が一郎に話しかけた。「どうです、あなたも私たちのボランティアに参加してみない? 英語もできるようだし、外国人の対応もうまいし」
「ええ、面白そうですね。僕でよければ」と一郎は快諾した。

これから先、東京の名所で外国人が好みそうなところを案内する。生まれも育ちも東京の一郎にとっては、もってこいの活動だ。月に2-3回程度、週末や祝日で都合のつく時にガイドを引き受けてほしいとのこと。

翌週末、さっそくリクエストがあり、案内した場所は浅草であった。ゲストはアメリカ人の老夫婦だった。もちろんのこと、雷門、浅草寺を案内。じっくりと説明した。一郎の説明が分かりやすく、実に満足げであった。一郎も楽しかった。

その翌週末、メールで、皇居を見学したいというカナダからの父娘のゲストを和田倉噴水公園で待つことにした。父親の名はロジャーといい、娘はナンシーという。道路を挟み皇居のお堀のすぐ近くで、巽櫓と外苑を見渡せる場所だ。この噴水公園は、平成天皇が皇太子の時代に婚礼をした記念に建てられ、現在の皇太子の婚礼を記念するためにも追加で噴水が建造された。

午後1時に来ると言うので、10分前ほどに来て待っていた。すると、5分前ほどに親子らしき白人の二人ずれがやってきた。が、その姿を見て驚きを隠せなかった。浴衣姿だ。


白と黒のストライプの柄に黒い腰紐という浴衣姿。おいおい、ここは温泉街ではない。由緒ある皇居内だ。
「あのう、ロジャーさん、ナンシーさんですか」と一郎は声をかけた。
「イエス、あなたが今日のガイドですね」とロジャーが応えた。そばに年齢が20ぐらいの若い娘さんがいる。
「はい、ですけど、なぜ、こんな恰好をしているのですか?」ときく。今は秋の中頃、浴衣だけでは寒いのではと思ったが、その下に服を着ているのが分かった。
「ホテルに提供物としてあったのですよ。日本では由緒ある場所では、着物を着るのでしょう。娘と私は着物を着るのがとても楽しみでしてね。さっそく着てみようと」
「失礼ですが、これはパジャマとして提供されたもので、ユカタと呼ばれるものです」
「パジャマ? そんなばかな」
「私、日本ではみんな着物をきているものと聞いていたわ。だから、いいのだと思ったのに」とナンシー。
「いえ、着物を着る日本人は実際、とても少ないですよ。私も生まれて今まで着たことがありません」
「ええ、そうなの?」
何という誤解をしているのだろう。今を江戸時代と勘違いしているのか。
「よろしければ、脱いだ方が」と一郎は勧めた。親子は紐を解き、浴衣を脱いだ。丸めて肩にしょっていたバッグに詰め込んだ。
「もう誰も着物を着ないの? 日本に来て数日ほどになるけど、どこいっても着物を着た人を見ないわ」とナンシーはがっかりそうな表情。
困ったことだ。とんでもない誤解に基づいて、日本に憧れを抱くなんて。着物は時代劇で観たり、歌舞伎役者や落語家、芸事、茶事をする人が、メディアで出てくる時に着ている姿を見るが、一般の日本人にとっては、めったに着ることのない服だ。
「どうして、着なくなったの?」とナンシーがきく。
「もう時代が変わったから」と一郎。
するとロジャーが「時代が変わったからと自分たちの伝統を忘れていいと日本人は思っているのかい?」とどきっとする質問をした。
一郎は言葉に詰まった。たかがか着物でそんなことを言われても、と思ったが、確かに、そう言われれば、そんなような気がすると思った。

とりあえず、親子のリクエストに応え、皇居を外苑及び二重橋方向を案内することにした。なんとも、ぎこちない気分でのガイドであった。
kimono_imperial_palace


翌日、事務所に出勤すると、とんでもない仕事が舞い込んできた。一郎の事務所らしい仕事といっていい。それは都立高校の教員が原告で、都の教育委員会を訴える内容だ。教員たちは、高校の卒業式や入学式で日の丸の国旗に対しての敬礼と君が代斉唱の時の起立を拒否したということで、停職処分を受けていた。

一郎は気が進まなかった。確かに、強制はよくないが、日の丸への敬礼や君が代斉唱は所詮、儀礼的なものではないか。国家主義に反対というのは分かるが、好む好まざるに関わらず、教員も生徒も日本国民なんだから、その程度の儀礼的なことに拒否反応を示すこともないだろうに。

もちろんのこと、日本は言論の自由が憲法で保障された国だ。だから、彼らの訴えは最もだとも思うが、何も、こんな揉め事にすべきでもないだろうと思ってしまう。冤罪やセクハラ、パワハラなどの深刻な人権侵害と同列ではないのではと思う。

だが、左翼の溜まり場だけあって、事務所は弁護を引き受けた。一郎以外の弁護士たちは、かなり熱心な様子だ。業務命令だから仕方ないと一郎も作業に取り掛かることにした。だが、教員たちの言い分には同意しかねることが多いので正直乗り気がしなかった。

その日、母方の祖父が亡くなった知らせを受けた。享年80歳だ。母は福島の出身で、母の実家は会津市にある。祖父とは、小さい頃と、中学時代、高校時代に数回ほど会ったことがある。だけど、ほとんど記憶もなく、馴染みもない。母は葬式に出席のため会津に帰省することになった。父が数年前に他界した後、母は姉夫婦と一緒に千葉で暮らしている。一郎は、新宿のアパートで独り暮らしだ。事務所も新宿にある。

数日後、母が帰ってくると、祖父から一郎への形見としてあるものが渡された。祖父は、そんなに遺産を残したわけではないが、どうしても孫の一郎にと、遺言で託されたものだという。

肩幅程の長さの包み紙を渡された。数キロほどの重さがあったが、それを開いてみると、中にあったのは青色の着物であった。

週末になり、リクエストを受け、またガイドを引き受けることになった。場所は葛飾区は柴又帝釈天だ。今度は清美さんも同行するらしい。楽しみだ。そうだ、形見の着物も着て行こう。


第3章へ続く。
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テーマ:オリジナル小説 - ジャンル:小説・文学

和装 | 18:30:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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